JICAインドネシアボランティアのブログにようこそ。
私は、21年度2次隊 養蚕シニアボランティアです。私の任地はスラウェシ島(以前はセレベス島と言われていました)の南にあるマカッサルと言う町に住んで、約4ヶ月になります。私のボランティアとして与えられた課題は、インドネシアの養蚕を元気にする事で、マカッサル市の郊外にあるビリビリと言う町の、林業省養蚕センターが私の活動拠点です。
「養蚕」?と聞いて、直ぐに何をする事かぴんと来る人は、最近の日本では少なくなっていると思います。養蚕は「蚕」と言う虫を桑の葉を与えて飼育し、繭を作らせる事です。作られた繭から、繊維の女王と言われる「絹糸」が作られます。細かな事は別にして、「養蚕」は蚕を飼育して繭を作らせる事、そして繭から絹糸を作る事を「製糸」と言います。ここでは「絹糸」と言うより「シルク」と言った方が、イメージがわくと思いますので、これからはシルクと言います。
今申し上げたように、インドネシアに来てまだ4ヶ月余りなので、私がインドネシアの養蚕に対して何をしたか、はまだ余り書けないので、今回はインドネシアのシルクについて書きたいと思います。
写真=家の中に蚕棚を作りそこで蚕を飼育する農家
インドネシアのシルクについて語る前に、蚕について簡単に説明します。一般的に養蚕といわれるものは、桑の葉を育て、蚕に桑の葉を与えて大きくし繭を作らせます。この蚕を私たちは
”家蚕“と呼んでいます。この蚕は、人間が桑の葉を与えるまで待っていて、自分から餌となる桑の葉を捜し歩くことはありません。敢えてこのように”家蚕“と言うには、何か理由があるだろうとお考えになる人がいると思います。そうです、この”家蚕“に対して”野蚕“と言うものがあります。”野蚕“は一部を除いて、人間が家の中で飼育することはできません。皆逃げ出してしまうか、死んでしまいます。そして”野蚕“にはいろいろな種類があり、いろいろな植物を餌として育ちます。日本の”野蚕“で代表的なのは”天蚕“というものがあります。
また、“家蚕‘には育つ地域によって、1年に1回しか幼虫が発生しないもの(1化性と言う)、1年に2回幼虫が発生するもの(2化性と言う)、そして1年に何回も幼虫が発生するもの(多化性と言う)があります。日本では、明治の時からフランス人などを指導者として呼び寄せ、近代養蚕を発展させてきました。明治から大正、昭和とシルク(生糸)は輸出産業として大変重要な時期がありましたが、そのときから主に2化性の蚕を使用して品種改良してきました。
ここまで”養蚕“または”蚕“の概要が解りましたでしょうか。細かく説明しますと大変な量になってしまいますので、簡単に書きました。
写真=高床式の家の下で飼育される蚕
さて、インドネシアの養蚕ですが、インドネシアではスマトラ島、ジャワ島、スラウェシ島などで伝統的な養蚕があったようです。その背景は、やはりそれぞれの地域に王室があり、その王室に対する貢物として、シルクの布は大変重要なものであったと思います。このことは、東南アジアで同じようにシルク生産は、受け継がれてきたと思います。
インド、タイ、ラオス、ベトナムなどでは伝統的な養蚕が盛んでした。これらの地域は気候が1年中暑いか暖かいので、桑の葉がほとんど1年中収穫できます。それで、主に多化性の蚕が飼育されてきました。多化性の蚕は暑さや病気に強くて飼いやすいのですが、繭があまり大きくならず、シルクがあまり沢山とれないのが問題点でした。収穫された小さな繭は、ほとんど農家がそれぞれの家で、伝統的な方法でシルクの糸を紡いできました。インドネシアでも長い間、この伝統的な蚕の飼育、そしてシルク糸を作ってきました。今でもジャワ島の一部には残っているようです。
写真=急な山の斜面に作られた桑畑
1970年代にインドネシア政府とJICAで、日本の近代養蚕をインドネシアに技術移転する話があり、1978年から1983年までの5年間、JICAがインドネシアで養蚕に関する基礎技術移転のプロジェクトを立ち上げ、多くの日本の技術者がこのプロジェクトに参加しました。そのおかげで、インドネシアには、日本の近代養蚕技術が、ある程度定着しました。
プロジェクトが終了してもう25年以上経ちましたが、今でも日本から移転された養蚕技術は私の活動拠点である養蚕センターにしっかりと残っています。養蚕センターから発信された技術は、インドネシアに定着しています。でも、やはり長い年月の間に、少しずつインドネシア流になっているようなので、私がまた軌道修正をしなければならないようです。
特に、蚕を長い間飼育していますと、少しずつ病原菌がたまってきます。そしてその病原菌が一定の濃度を超えると、蚕が病気になります。それなので、蚕を飼うところは、常に清潔にして、消毒もしなければなりません。でも、インドネシアの養蚕農家の人は、初めは養蚕センターの指導に従って、消毒をやっていたようですが、だんだんしなくなっている為、最近では病気が良く出て、繭が収穫できなくなってきているようなのです。
写真=竹で作ったマブシという道具に沢山出来た繭
そこで、私の大切な仕事は、農家が消毒をきちっとやるように、養蚕センターの人と一緒に指導する事。そして、より強い蚕の品種を作る事です。養蚕センターには色々な国からの協力で、39もの蚕の品種があります。これらを使って、または新たに品種を導入して、多少の汚れでも元気に育ち、繭を作ってくれる品種を作らなければならないのです。これは、大変難しい事ですが、2年間の間に何とか、達成したいと考えています。
写真=養蚕農家の庭の小屋で作られるシルク糸
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
<JICA地球広場 HP掲載記事>
http://www.jica.go.jp/hiroba/information/2010/100813_02.html
※2010/08/16 追加しました。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::