スマトラをゆく ~ ブキティンギ近郊 第95号(2001年 3月発行)より |
2000年12月6日 初めてスマトラの地に足を踏み入れる。ジャカルタから飛行機で1時間半の西スマトラ州パダン市・タビン空港に降り立つ。
今回の目的はパダンの西に浮かぶ島、シベルッ島(Pulau Siberut)だった。空港からタクシーで、シベルッ島行きの船が出るバタン・アラウ港(Batang Arau)に向かう。で、港の係員にシベルッ島行きの船のことを聞く。週1便、月曜日の晩のみだそうだ。もう一隻ある水曜日の便は現在船が壊れて運行していないとのこと。尚、私が到着したのは水曜日だったので予定の変更を余儀なくされる。で、ブキッティンギである。
パダン~ブキッティンギ間はバスが通っている。料金は5000ルピア。所要時間は約3時間。パダン市の中心部に長距離バスターミナルがある。12:30出発。景色はなかなか良い。途中滝なども見れる。15:00過ぎ ブキッティンギ着。長距離バスはブキッティンギの丘の下パサル・バワ(Pasar Bawah)に着くので宿や旅行代理店のあるパサル・アタス(Pasar Atas)まではアンコタと呼ばれるミニバスに乗る必要がある。私はヤニ通り(Jl.A.Yani)で降り、ダリアホテル(Hotel Dahlia)に泊まる。料金は税込み44,000ルピアと高めだが温水が出るのでここに決めた。ブキッティンギは標高700m位の所にあり朝晩はかなり冷え込む。トレッキングの後の温水シャワーは有り難い。その後、旅行代理店を数軒当たる。どこも似たような感じなので三軒目で「二泊三日ジャングルトレッキング」を計画してもらう。私の注文は人間文化(ミナンカバウ文化)は興味がないのでコースに入れないで欲しい。その代わりふんだんに森に入りたいという物だ。明朝ガイドと打ち合わせの約束をし、この日は市内をまわり、21:00就寝。
12月7日 7:00起床。朝飯を食べるべく街に出るが断食期間中のため店が全く開いていない。仕方なく雑貨店でパンを買い込みホテルで食べる。8:30旅行代理店へ。ガイドを紹介される。名前はピリ氏(Phili)だ。彼が言うにはコースは森と山を二泊三日かけてトレッキングをする。宿泊はテント。食事も持っていく。というのでどうだろう、とのことだった。何も文句はないのでOKする。ただ準備のため今日一日時間が欲しいとのことなので出発は12/8となった。さて、本日の予定である。私は今日からバリバリ森に入るつもりだったので肩すかしを食った気分だ。観光案内書をしばらく眺めた結果、隣の銀細工の村コト・ガダン(Koto Gadang) に行くことに決める。ブキッティンギから歩いて2時間ほどのハイキングコースが設置されているとのこと。一旦宿に戻って重装備をとき、軽装になって再出発。
まずは市の南部にあるパノラマ公園。ブキッティンギの南側は渓谷になっており非常に景観がよい。この公園の中には旧日本軍が造った防空壕がある。入ってみるとかなり広範囲に渡っており、また枝道が多い。一人でふらふらすると迷って出れなくなりそうだ。洞窟の中を一人で歩くのもあまり気持ちの良いモノではない。ましてや結構中で人が死んでおり、地元では幽霊が出ると信じられているところだ。そうそうに引き上げて渓谷に降りていく。渓谷の中の町ンガライ・シノアッ(Ngarai Sinoak) で農民に道を聞く。これだといって示されたのは田圃のあぜ道だ。そこを抜けると比較的整備された道に出た。どうも最初に入る道を間違えていたらしい。そこで農民がいうには道が二つあるとのこと。実際私の目の前に二つの道がある。「にいちゃん、右の道は普通に使われている道だ。左の道は少し回り道になるが、もし兄ちゃんがトレッキングを楽しみたいなら間違いなく左側の道を行くこった。途中にオオコウモリのコロニーもあるし、サルもいる。運が良ければイノシシや鹿にも会える」これを聞いて右の道を選ぶ奴はいないだろう。私も迷わず左を選んだ。その農民がまた、こういった「なんなら、俺がガイドしてやろうか?」「道はずっとこんな感じかい?」「ああ、そうだよ」「じゃ、一人でぼちぼち行くよ、ありがとう」ということで一人で進む。この時 10:00。10:15 ツパイに遭遇。薄い茶褐色、種名までは分からない。10:30 道が狭まってくる。あまり人が通った形跡がない。「?」と思いながら先に行く。廻りの草が私の背丈ほどになり、所々道を塞いでいる。かきわけ進むと道らしい物に出る。時々横の川に落ちたり、ぬかるみに突然はまったりしながら先に進む。10:40 湿原を抜けかなり暗い森に着く。道は歩きやすくなった。ここから山越えになる。
10:50頃おかしいと思い立ち止まる。私が歩いているのは道ではない。暗い森で下生えの草が少ないために歩きやすくなっているだけだ、という事に気付いた。しばらく付近を探すが明らかな道というのは発見できない。で、引き返すことにする。しかし、私はいったい何処から来たのか良く分からなくなっている。登った道を降りる。が、その前に抜けてきた湿原の中の道がない。湿原に沿ってしばらく探す。かなり焦りが出始める。底なし沼っぽい泥沼に膝まで入ってしまい、木の根にしがみついてはい上がったり、川に落ちずぶ濡れになったりした。また、急に天候が崩れ大雨が降り出し、私の遭難気分を後押ししてくれる。
11:15 パニックに陥りそうだったので、とりあえず木の根に座って水を飲む。で、考える。湿原沿いの川に沿って下ると必ず町に着くはずだ。ということで川沿いに歩こうとする。が、30秒トライしただけで、これはかなり危険ということが分かり断念。理由は川が丈高い草に覆い尽くされている上に底がかなり足を取る泥質であるというためだ。で、やはり来た道を探すしかないという結論に至る。もう一度湿原沿いに細心の注意を払いつつ進む。
11:30 冷静になり探し始めたところ、それほど離れていないところに丈高い草の中に踏まれた物があるのを発見。さっき通ってきた道である。胸をなで下ろしつつその道に入る。12:00 元の地点に帰り着く。今度は右側の道を行く。道幅はかなり広い。途中に谷川に掛かる大きな橋にでる。橋を渡ると道が二本に分かれている。これは右左どちらを通ってもコト・ガダンに着くらしい。私は左側を進み、コト・ガダンのはずれに着いた。12:45 。ジョグジャ近郊の銀の町(Kota Gede)とは比べ物にならないほど小さい。値段もジョグジャより少し高め。特に面白いこともなくそうそうに引き上げる。ミニバスで、ブキッティンギまで戻る。
14:30。精神、肉体ともに疲れ切っており、この日はあと動物園だけをまわり早々に休憩することにする。
12月8日 8:30 旅行代理店に出向く。ピリ氏が10分ほど遅れて来る。今回攻める森はアラハン・マティ村(Alahan Mati)。ブキッティンギから56km程離れたボンジョル郡の中心部からさらに西に10km程行ったところだ。旅行代理店の車に乗り出発。途中の景色はなかなか良い。
10:30車を降りる。とりあえず、山に精通しているという現地ガイドの家に向かう。
11:15現地ガイドの家に到着。この間は田圃のあぜ道を通り抜けることになったのでこの時点で足下はドロドロになってしまった。現地ガイドを紹介される。よぼよぼのおじいさんだ。ピリ氏が言うにはこの日の晩はこの爺さんが持っている畑でテントを張るとのこと。「なんだ、開墾されたところか」と若干失望したが、あとでこの失望は早計だったと痛感することになる。
爺さんの家で昼飯をもらい、13:30トレッキングに出発。30分ほど歩き山の麓に着く。後ろの爺さんが遅れている。ふと爺さんの足元を見る。なんと、裸足だ。「爺さん、裸足だぞ!」「ああ、彼は靴を履かない、これが普通だ」「…・(その程度のトレッキングなのか?)」と思ったことも直ぐに誤りであると痛感することになる。麓で少し休憩し山越えになる。1時間ほどの道のりだが勾配が急でかなりつらい。途中で2度ほど休憩を挟む。その後は上ったり下ったりを繰り返す。最初の山ほどきつい登りはないとのことだが、なかなかどうして、その後の道のりもきつい。あまり動物を探したりしている余裕はない。森の状態は概ね良い。開発の手は入っているが手つかずの所もまだ多い。が、途中何カ所か盗伐現場に出会う。40mはあろうかと思われる巨木が切り倒されている。谷に掛かる天然の橋みたいになっているところがあり、面白いので先端の方に歩いて行ってみた。何種類かの蘭が着生している。製材される過程で枯れてしまうなと思い各種1株ずつ採集することにする。ちなみにその後も盗伐現場には何回も遭遇しそのたびに木に着生している蘭を採集してまわったところ、トレッキング終了時10種類強となっていた。尚、ガイドも「旦那、これはまだ取ってないだろう」と親切で採集してくれた物(本当はダメ)も含めて18種類となっていた。トレッキング後半は呑気に蘭を探している状態ではなくなっていた事、基本的に伐採された倒木からのみの採集であった事、私は蘭に関しては素人であるという事を考えると非常に蘭の種類数、株数の多い森であると思われる。尚、現地で花が咲いている状態を見たのは、ただ1種類だけだ。その後自宅に持ち帰った物が1種類咲いた。その他はどんな花が咲くのか今楽しみに待っているところである。
17:30初日のキャンプ地に到着。畑と言うことだが今まで歩いてきた森と大して違いはない。が、よく見るとシナモンの木(現地名:Kayu Manis)とカカオの木(現地名:Cokolat)の2種類が圧倒的に多いので人為的な森であると分かる。200m程離れた森の中に掘っ建て小屋があり爺さんの息子がシナモンの木の皮をはぐ作業をしている。はいだ皮を乾燥させ、細かく砕くと香辛料としてのシナモンの出来上がりである。尚、カカオをどうやってチョコレートにするかは分からない。私はカカオの実をそのまま食べたが、甘酸っぱく非常においしい。とてもおいしかったので種を持ち帰り庭に植えた。私の任期中に食べれるはずもないのだが…・。植えた種だが生長はとても早い。ガイドが言うには土地が肥沃ならば2年で実がなるとのことだ。
さてキャンプ地であるが谷川沿いである。この川が非常に綺麗だ。直接飲めそうだがガイドも湧かしてから飲むようすすめたのでそれに従うことにする。テントを張り、谷川の水で水浴びをし食事の準備に取りかかる。
18:17 断食が開け皆で一緒に食事をする。ピリ氏も爺さんも敬虔なイスラム教徒であり私が必死に歩いた道のりを断食の状態で、爺さんなんかは裸足で歩いていたのである。
夜、何気なく地面を見ていると白い固まりがある。懐中電灯で照らしても朽ち木が有るだけである。電気を消す。どうも朽ち木に着いたある種のカビの菌糸が発光しているようだ。付近を探すと大きい物で10cm四方ぐらいの朽ち木全体が光っている物もあった。近くでよく観察すると菌糸がいりくんでいる様が良く分かりなかなか幻想的だ。
さて、明日は一日中レッキングである。早々に寝る事にする。
12月9日 6:00起床。朝食を取り、テントをたたみ、8:00出発。この日から爺さんの息子が加わり4人パーティになる。爺さんは道案内、息子とピリ氏が食料やテントを運ぶ。という組み合わせだ。朝からテナガザルの声が森の中を響き渡っている。私の住んでいるカリマンタンのミューラーテナガザルに非常によく似た声だ。「あれはシアマン(siamang 学名:Hylobates syndadylus 和名:フクロテナガザル)の声だ。」とピリ氏。全身黒一色のテナガザルだ。声はかなり遠くから聞こえるので観察することは困難だ。運が良ければ見ることもできるだろうと思い、とりあえずトレッキングに集中する。11:00頃30m程離れた樹の上でガサガサと音がした。サルだと思いじっと見つめる。ちらっと黒い影が木から木へ飛び移るのが見えた。それが今回テナガザルを見た唯一の機会だった。11:30頃前方をイノシシの群が走っているのに遭遇。距離は20m程と結構近い。成獣一頭、子供三頭は確認できた。さすがに野生個体はゆっくりと観察はさせてくれない。10秒ほどの邂逅だった。
その後は道がかなり悪くなったのと疲労と降雨のため、動植物を観察する余裕が無くなってしまった。道が悪くなったのは盗伐された木が道を塞ぐように倒れているためで、乗り越えたり迂回したりとなかなか道が進まない。
15:00二日目のキャンプ地に到着。ビニールシートを広げて履いていた地下足袋を脱ぐ。裏地が真っ赤になっている。ヒルに血を吸われて出血しているようだ。左足に二箇所、右足に一箇所。3箇所とももうヒルは落ちた後のようだ。ヒルに吸われた後はなかなか血が止まらない。血染めの地下足袋と軍足、そして途中何度も転倒して泥まみれになったジーパンを横の川で洗い木の枝に干す。夕方にスコールが来たので少し休憩した後、食事の準備に取りかかる。テントを張るのは情けないが疲労のため全く手伝うことができなかった。
18:17断食明けで皆一緒に食事。今日の行程は山越えだったので途中に水場が無く、私の昼飯もクラッカーやチョコレートだけだ。が、今日も彼らは飲まず食わずで歩き通した。宗教の力とはかくも強い物かと感心する。
晩飯を食ってしばらく談笑していると、テント内の懐中電灯の明かりに蛍が飛び込んできた。全長2㎝ほど。尻の先端から2節が発光している。この蛍は明滅することないので少し違和感を感じる。この日は焚き火を囲んで22:00頃まで語り合う。尚、爺さんとその息子はミナンカバウ語を使う。インドネシア語を理解はするようだが、あまり話そうとはしない。ただ、メラユ語(インドネシア語)に近いのでなんとなく分かるような気もする。
就寝前、干していた物を取り込む。懐中電灯で照らすとジーパンが妙に赤っぽく見える。手に取ってみる。赤く見えたのはシロアリの大群がジーパンを覆い尽くしていたからだった。何とも気持ちの悪い光景で背筋がぞわぞわしてしまった。何故軍足と地下足袋には興味を示さずジーパンにたかっていたのかは幾ら考えても思い当たる節がない。とりあえず、払い落としてしばらく焚き火の煙で薫製処理をした後23:00頃就寝。
12月10日 6:00起床。トレッキング最終日である。この日もテナガザルの声が響き渡っている。が、昨日とは種類が違うようだ。フクロテナガザルの声より少し甲高い。「ウンコ(ungko)だ。」名前は悪いがこれはインドネシア語だ。和名アジルテナガザル(学名:Hylobates agilis)。フクロテナガザルに比べ灰色が強い。また顔のまわりに白い縁取りが有る。私の居るカリマンタンにも南の方には分布している。まだ見たことはない。今回も声だけだ。
8:00トレッキング開始。今日は山を一つ越えて麓の村に出る。そこからバスに乗ってブキッティンギに戻るという予定だ。まず登り道である。これはあまりきつくはなかった。が、この後の下りが…道ではない。地滑りがおこり木がなくなったところを急降下する、というものだ。ピリ氏が言うには元は道だったらしい。私は前日のトレッキングで右足の親指の爪がいかれてしまっている。かばって降りる内に膝まで痛くなってしまった。また手には蘭を満載したビニール袋を下げていて自由度が低い。転倒したらかなり下まで転落するだろうと思われる。足下は昨日のスコールで非常に滑りやすい。と、状況はかなり悪い。実際、何回か足を滑らせ隣の木の根にしがみつき事なきを得た、ということも多々あった。この急降下は約1時間。途中見晴らしの良い場所が多々あり、膝が痛いこともあり休憩を何回も入れた。その内の一回の出来事。少し下の道脇に白い花が咲いている。その花の廻りをエメラルドグリーンの虫が飛んでいる。「タマムシだっっ!」で駆け寄る私。が、そこは先ほど書いたように急斜面である。滑りやすいのである。私はあえなく転倒し5m程下まで転がり落ちてしまった。起きあがりタマムシを捕まえるべく起きあがる。すでに爺さんの息子が捕まえていてくれた。「旦那、とれたよ!」「おおーーーっ!」駆け寄る私。で、手に取る。美しい。日本のタマムシのように赤いラインはなく、ただひたすらに純粋なエメラルドグリーンだ。表も裏も足も触覚も。タマムシは飼育方法が分からないので写真にとって逃がす。「旦那、今の虫だったら、家の村にたくさん居るよ」と爺さん。膝がさらに痛くなってしまった。
また、降りている最中少し大きめの水たまりがあった。中をのぞき込むとサソリの様な生き物が居る「水の中にサソリ!?」と思い近づく。日本のタイコウチのような水棲昆虫だ。これはフィルムケースに入れて持ち帰ることにする。昆虫やみみず、刺身や肉団子なんかも食べるようだ。(正確に言うと体液を吸っている)
11:00麓の村に着く。ここもAlahan Mati村だ。スタートした場所からは5km程離れた場所だ。村の中を清流が流れている。ここで30分ほど水浴びをし、丸二日分の汗を流す。11:30再出発。近くの三叉路で爺さんとその息子は自分の家に向かう近道へ、私とピリ氏はバス通りへ、ということでお別れになる。
12:00ピリ氏の親戚の家につく。ここで昼食を取り休憩する。机の上の水槽にキノボリウオが多数飼われている。食用だそうだ。
13:30家の前でミニバスに乗り込みボンジョル県へ、そして国道バスでブキッティンギへ向かう。ブキッティンギ着16:00近く。ピリ氏と旅行代理店で話すと今ラフレシアが咲いているとのこと。明日はラフレシアをみたいというと車をチャーターして60,000ルピアとのこと。かなり安く思い申し込む。ちなみにラフレシアがどこに咲いているかは現地の村の住民しか知らないのでその村で別途ガイドを雇う必要があるとのこと。明日は遂にラフレシアとあえるのか!と思いつつ宿に戻り休憩。
12月11日 9:00旅行代理店で車に拾ってもらいラフレシアを探しに出発。ちなみに一晩明けて膝の痛みはひどくなっている。が、目の前にラフレシアが咲いているという機会を逃すわけにはいかない。ラフレシアが咲いている村はブキッティンギから約10km程の村バタン・パルプー(Batang Palupuh)村だ。車で15分ほどで村の入り口に到着。その後村の中のボコボコ道を進み警備員詰め所みたいな所に着く。運転手が降りて近所に人に何か聞いている。多分ラフレシアの咲いている場所を知っている人を捜しているものと思われる。居たようだ。現地ガイドは12歳の男の子だった。犬を連れている。「どのくらいの場所だい?」と聞くと「500m位だよ」とのこと。どうも凄絶なジャングルトレッキングの果てにやっとみることができるというような大イベントにはならないようだ。(足のことを考えたら有り難いのだが)運転手を麓で待たせ出発。15分ぐらい歩いたところで「これだよ」おーーーっ!咲いている。が、色は黒く腐りかけている。もう4週間目だそうだ。咲いて2週間ぐらいが綺麗だということなので少し残念。他にはあるか聞いてみると、今回はこれが最後であとはつぼみだけだとのこと。その後つぼみを何個も見て1時間ほどでその山を引き上げる。尚、ここで咲いているラフレシアはアーノルディ(直径1m程になる最大種)ではない。種名は分からないが私が見た物は直径40cm程度だった。時期は5~6月、11~12月の年二回咲くらしい。今回の状況を見る限り11月の方が見ることのできる確率が高いのではないかと思われる。今回私が見たつぼみが5月頃咲くと思われる。
11:00過ぎ宿に戻りチャックアウト。ブキッティンギを後にする。
ブキティンギは奥が深い。とても1週間足らずでは時間が足りない。他にもいろんな森に入るためのツアーがあるようだ。私が得た情報で非常に面白いものがあったのでここで併せて紹介しておく。私は時間がなく、今回は行けなかったが機会があれば必ず行こうと思わせるトレッキングだ。
「クブ(Kubu)族・トレッキングツアー」
西スマトラ州とジャンビ州の州境付近に裸族が住んでいる。彼らは文明生活を知っているがかたくなに拒絶し原始生活を送っている。彼らに会うためにはバス、舟、トレッキングを繰り返し或る村に行く。その村にはクブ族の代理人が住んでいて、まずその代理人に会う必要がある。代理人はクブの村に行き外界の者が村に入りたいと言っているが良いかどうかを聞いてくる。良ければ代理人の案内で村に入ることができる。誰かが死んだときや何か儀式のあるときは許可が得られないそうだ。また、この民族は定住生活をしていないらしい。村の中で誰か死人が出るとその土地を忌み嫌い次の土地を探して移民するそうだ。ただし、それほど離れた場所ではないとのこと。移住した後再び畑を作り生活を始めるそうだ。そのため数ヶ月で移動することもあるし数年定住していることもあるらしい。ピリ氏が2年ほど前にガイドをしたそうだが、今もそこにいるのか、それとも移住したのか分からないと言っていた。クブ族もさることながらそこに至るまでのトレッキングも非常に面白いらしい。ただし予定は7泊8日ほどで組まないと行けないようで料金も500$以上はかかると思われる。