マハカム紀行4 ~ ムラッの黒い蘭 第94号(2000年 12月発行)より |
今回は黒い蘭が自生しているというムラッ(Melak)に行くことにする。ムラッはマハカム川の中流域最後の街であり、この先はマハカム川上流域になる。また、この先は旅の予定が立てにくい。というのも乾期で水位が下がっているときに船がちゃんとその先の町までいってくれるか、という問題もあるし、船があちこちで荷物を下ろしたり水流の速さによって所要時間が大幅に変わってきたりするからだ。よってこの先に足を踏み入れるのは少し先の話になるだろう。一週間以上の休みが必要だ。
2000年5月18日 朝9:00バリクパパンを出発、15:00コタバングン到着。たまたま16:30にさらに上流の街ロン・バグンまで行く船が通ったのでそれに乗り込む。満員。座る場所を探し回った結果、船縁に空きスペースがあったのでそこに座る。景色も見えるのでまあ良しとしよう。ふと隣を見ると…なんと!おばあさんの耳が長い!!初めて会った。耳におもりを吊るし耳たぶを肩まで垂らしているダヤック人の女性だ。ちなみになんとなく性格は悪そうだったので横目で見るだけで話をすることは控えた。一晩中話しかけられても適わない。
さて日暮れは6時半頃のはずだ。川沿いの森で寝る準備に入った動物たちが見れるだろう。
17:30ムアラ・ウィス(Muara Wis)を通過。ここを20分ほど過ぎたとき、動物発見!カニクイザルが岸辺の木の上で睡眠体制に入っている。続いてシルバーリーフモンキーの一群。これは今まで見た中で最大の群だった。15頭ぐらいが2本の木にまたがって場所を探している。逆光なのではっきりとは見えないがここにはサルが3種類しかいないのでシルエットだけで同定はできる。腰が曲がっていて小さいのがカニクイザル。スリムで細長い感じのするのがシルバーリーフモンキー、腹が出ていて色が赤から薄い茶色に見えるのがテングザルだ。このあとも30分ほどの間、テングザル、カニクイザル…と連続的に見ることができた。昼は断続的にしか見えないが夜は川沿いの木の上で寝ることが多いようだ。今後もここはよく見れるポイントと言うことで押さえておこう。
19:00ムアラ・ムンタイを通過(Muara Muntai)。もう日は完全に暮れてしまい動物は見ることができない。コタバングンで買っておいた食料を食べ、船の後部に付いているマンディルーム(シャワー室みたいなモノ)で川の水を使って汗を流し寝る体制に入る。しかし、これが大変だ。ちなみに2階は1等船室で寝床がある。広さは日本の布団の半分ぐらいしかないが。しかし今回私は途中乗船でしかも超満員、甲板に転がるしかない。もぞもぞ体を動かしベストポジションを探しているうちに10時頃には寝ていたようだ。夜中2時頃船内に動きが出てきた。2:30ムラッ到着。仕方なく降りる。ムラッは内陸各地への要所であるので流石におりる客が多い。降りてみると夜中であるにもかかわらずあちこちに行くタクシーが客を呼んでいる。3:00船が去る。
さて取り残されてしまった。付近を歩いてみたが屋台もないし宿も閉まっている。仕方なく港に戻り交番のベンチに横になって朝まで寝ることにする。とりあえず虫除けだけはつけて寝る。
5月19日 6時に明るくなったのと廻りがざわざわ動き出したことで目を覚ます。体が痛い。もう食堂が開いているようだ。朝飯を食べながら、黒い蘭の自生地である「クルシッ・ルワイ(Kursik Luwai)」への行き方を聞いているとバイクタクシーの運ちゃんを紹介された。
クルシッ・ルワイと近辺のダヤック人の村々を巡って一日80,000ルピアとなる。ちなみにこれは少し高い。巡った感じでは50,000~60,000ルピア程度で充分だと思われる。運ちゃんの説明ではエヘン(Eheng)という村までは50kmあるということだったのだが実際は30km程度だろうと思う。まあ、初心者なので仕方がない。結果的には運ちゃんも非常に気持ちよく案内してくれたし予定外の所に行っても文句を言われなかったので、こちらにしても気持ちよかった。
とにかく交渉は成立し7:00出発。7:30クルシッ・ルワイ着。しかし管理人がいない。説明書きを見ると8時から17時迄となっている。で、待つ。8時。来ない。9時。来ない。運ちゃんが本当に近くだけなら案内できるというので案内してもらう。高い木は全くない。というのも97年にここも森林火災に遭い、かなり広大な面積が消失したと言うことだ。園内は大小の林とそれを取り囲む白い砂地で構成されており砂地の部分が歩道となっている。非常に手入れが行き届いていると感じたがこれは後で誤りであり、人間は巡回しているだけで何も手を加えてないらしい。で、林の中に入ると運ちゃんが「これ、全部蘭だよ」という。そういえば林の中の腐った木や生きている木の根元や枝の又の部分に蘭がたくさん生えている。それこそ木を埋め尽くすかのようだ。「これ、全部自然に生えてるの?」「ああ、誰も手を入れてないよ」
後で管理人に聞いたところここだけ蘭が生い茂っている理由は全く不明と言うことだ。ただ、ここは砂地であるため地面に根を張る植物は育ちにくい。その点蘭は他の木に着生する種が多いため土地の肥沃度はあまり関係ない。よってこのような土地では優勢種となりうるのではないだろうか。
さて問題の黒い蘭である。「黒い蘭はどれ?」「知らない」やはり管理人を待とう。戻ろうとしたとき「旦那、旦那!」と運ちゃんに呼ばれる。振り返ると手に蘭を持っている。「これ、早く隠して!」「何て事するんだ。禁止されてるじゃないか」「大丈夫、大丈夫」まったく何が大丈夫何だか…。なんともインドネシア的だ。しかしむしり取られてしまった物は仕方ないし、この運ちゃんとは今日一日付き合うことになるので有り難く受け取っておくことにした。こいつ3株もとってやがる。ご丁寧に種類も変えて。責任持って育てよう。
9時。管理人はまだいない。10時。やっと来た。「すみません、タイヤがパンクしちゃって」
管理人が訪問者記録を持ってくる。記帳する。5月は私が初めての訪問者のようだ。前のページをめくってみると日本語も結構書いてある。こんな所まできてるもんだな、さすが日本人と改めて感心した。ちなみに私はここに来て約一年日本人旅行者にはまだ会ったことがない。
管理人と共に園内に再度はいる。
「とりあえず、黒い蘭が見たいんですが」
「今は咲いてません」
そうか、一年中咲いているわけではないのか。
「いつ頃咲きますか」
「八月には咲いている可能性が高いです」
「とりあえず、その草体を見たいのですが」
といって案内してもらった。
「これです」
さっき取ったものの中に入っている気がする。ラッキーと一瞬思った私はかなり罪深いと思う。
「この区域はほとんどが黒い蘭です」
といって林内を歩いていると
「これが花です」
と言われた。
「えっ、さっき咲いてないって…」
「一輪咲いたようです。私も今日知りました」
思っていたイメージとは全く違う。花弁は薄い緑色。若く色づいてないつぼみが緑色のまま花開いたという感じの緑色の花だ。その中央部のひらひらした部分に黒い模様が多く入っている。全体的な印象は薄い緑色の蘭で中心部に黒いワンポイントがあるという感じだ。非常に上品な感じのする花だ。
「他の蘭は咲いていないんですか」
「今は全く咲いていません。12月は一斉に開くことが多いですが最近は気候が変わってしまって咲く物やら、咲かない物やら…」
どうも最近の異常気象で蘭も混乱してしまっているようだ。
「ここには何種類ぐらいあるんですか」
「火災前は72種類ありました。今は40種前後です。」
といい奥に連れていってくれた。
「ここが最も種類が多く密度も高かったのですが森林火災で完全に焼失してしまいました」
まさに焼け野原だ。2年以上経つのにまだ緑がほとんどない。遮る物のない太陽光線を浴び乾燥しきった枯れ木だけである。ちなみにこの状態は非常に危ない。一度火がついたらとても消し止めれる物ではないだろう。管理人もそのことを心配していた。少し離れた場所に監視塔が建っているので登って廻りを見ることにする。そこに移動するまでの間にウツボカズラが生えていることに気付いた。詳しく見ると地上の草の葉先がツボになっている物、ツタ状で他の木にからまっていて葉先がツボになっている物、など3種類ほどがすぐに確認できた。野生で見たのは初めてなのでなかなか興奮してしまった。また、林の中で「これ」と言われた先には鳥の巣があり巣の上には小さなハトの雛がいた。高さは1m50cm位。手を出せば触れるし、採れる高さでもある。「ここは高い木が少ないので仕方なくこんな所に巣を作るんですよ」雛はもう羽毛もほぼ生えそろい、もうすこしで巣立つところだろう。無事巣立つことを祈りつつ監視塔に向かう。
塔に登った。5000ヘクタールの国立公園というだけあって非常に広い。が、いい状態の森ではない。低木林だ。これは土地がやせていることに起因しているように思う。監視塔はさすがに非常にいい場所に立てられている。高さ8mだが5000ヘクタールが全て一望できるようになっていて眺めが良い。しばしここで管理人と自然に関する話などをして盛り上がる。その中の一節「今は観光客が少ないですが、1月、4月、8月といったシーズンは客が多く管理しきれないんですよ。取って帰る人もいますしね」「……(ごめんなさい、僕も取ってるんです)」この時彼に取ったことを正直に報告しなかった私はやはり罪深い。
ここは国立保護林で入場無料。ガイド料も無し。だが、管理人の兄ちゃんが非常に気持ちよい奴だったのと私の後悔の念からチップとして10,000ルピア払った。
11:30クルシッ・ルワイを起つ。
12:00近くの滝に到着。全然たいしたことないし発電のための人工建造物だったが泳げたので結構良かった。水着なんか持ってるわけもなくパンツ一丁で泳いだ。運ちゃんも泳いでいた。魚もいる。ラスボラの仲間とオリジアス(メダカ)の仲間だ。捕まえれなかったので種名までは分からない。
12:30再出発。エヘンに向かう。途中ムンチマイ(Muncimai)による。ここは数年前日本人が住み着きダヤック人に関する博物館を自費で造り日本に帰っていったという。4年ほど住んでいたそうだ。しかし、博物館は閉まっていた。多分管理人が昼飯を食いに行っていたのだろうと思われる。
13:00過ぎ、エヘンに着く。とにかく遠かった。しかしラミンと呼ばれる伝統的な長屋があるだけの小さな村だ。長屋に入ってしばしダヤック人と談笑する。土産物を買おうと思ったが山刀が150,000ルピアと途方もなく高いので買えなかった。
13:30昼飯を食うためエヘンを起ちバロン・トンコッ(Barong Tongkok)に向かう。
14:00過ぎ到着。ここも普通のダヤック人の村だ。運ちゃんがここにはダヤック人の経営する売春宿があるんだと教えてくれる。誇り高きダヤック人でも売春などに手を染める者がいるのかと少し悲しくなった。
15:00ムラッに帰還。この日は急いで帰ることをせず、ムラッに止まることにする。夕方夕飯を食いに出かけたときセパタクローをやっているのに出会いしばし見入る。
20:00就寝。
5月20日 朝6:00起床。寒気がする。というか間違いなく38℃級の熱が出ている。やべーと思いつつ、朝飯を食い、なぜか今回持参していた解熱剤を飲む。いままで旅行に解熱剤を持っていったことなど無いのだが今回は虫の知らせというやつだろうか。港に行って船の時間を聞くと10時にムラッ発の水上タクシーが出るという。で、宿に戻って休息。
10:15出発。信じられない正確さだ。時間通りに出発したことに驚いた。15分の遅れは別の大型船が進路を遮るように係留してあったために遅れた時間だ。
13:00途中のムアラ・パフ(Muara Pahu)で昼食。
14:00頃、泳いでいるテングザルを見る。他にも動物を探してはいたのだがなんせ体調が悪く途中で丸くなって(横になれるほど大きい船ではない)寝てしまった。
16:00頃コタバングン到着。最終バスがあったが、バリックパパン行きのバスに乗り換えれるかギリギリの所なので無理せずコタバングンに宿泊することにする。
5月21日 朝8:00起床。体調が戻っていればクダン湖(Danau Kedang)に行こうと思っていたが無理のようだ。おとなしく9:00頃のバスに乗る。15:00我が家着。
今回の旅行に掛かった費用
交通費 バリクパパン~サマリンダ 5,000rp×2=10,000Rp
サマリンダ~コタバングン 5,100rp×2=10,200Rp
自宅~バスターミナル 1,500rp×2= 3,000Rp
コタバングン~ムラッ(船;甲板) 15,000Rp
ムラッ~コタバングン(水上タクシー) 25,000Rp
宿泊費(ムラッ) 10,000Rp
宿泊費(コタバングン) 7,500Rp
バイクタクシーチャーター 80,000Rp
公園ガイド代 10,000Rp
食費 40,750Rp
帽子等購入品 30,000Rp
合計 241,450Rp