バリなのに リゾート地から遠く離れて・・・ |
私は現在バリ島中西部の田園地帯にあるタバナン県で活動しています。このブログで過去の看護隊員を見ていただくとわかるように、ここには過去4代、協力隊員が派遣されていました。
タバナン県立病院はインドネシアの県立病院の中では「かなり頑張っている病院」として評価されているようです。何を頑張っているかといいますと、地方自治の自立を提唱しているインドネシアで、いち早く職員の給料以外は全て自力で病院経営することに挑戦しています。他の県立病院にはいない専門医もいますし、医療器材も直接会社からリースしているので、他の県立病院より充実しています。また、有料の個室も用意されています。この病院は、1時間かけて州都デンパサールまで治療に出かける富裕層を取り戻し、経営を安定させ、スタッフを増員し、サービスを向上させようという大きな野望をもっているのです。そのため看護師(約300名)の看護レベルをもっと上げていこうと、我々ボランティアが要請されました。
(バリでは1年に2-3回田植えをします)
では、私がこの病院に配属されてからどんな日々を過ごしているのか少し紹介したいと思います。
【ポジションとユニフォームについて】
インドネシアはユニフォームが定着している国です。着ているものによって肩書きまでをも物語ります。過去何度かシニア海外ボランティアとして活動した経験を持つ私は、毎回派遣された病院のユニフォームを身に付けることにしています。ブルーのサリー、白のスーツなど、着てみるとすっかり気分は現地の看護師。ここタバナン県立病院では看護師長クラスはユニフォームが毎日変わります。私がユニフォームを作ると言い出した時、彼等の表情が微妙で歓迎しているのかいないのか解らない感じだった事を今でも覚えております。ふと考えてみると、看護部の指導、アドバイザーとして派遣されている私が、看護師長クラスと同じユニフォームを着てしまうと、立場が看護師長と同じになります。もう一度回りをよく見てみると、更に上の管理職はまた少し別のユニフォームをつけているではありませんか!うーん。。。ここは一気に、「私はちょっと別よ」って感じで、ユニフォームにこだわらず、外国人風服装で良かったのかもしれませんね。
ただし日本の白衣ではこちらの看護学生と同じになりますから、いけません。実習生と思われます。(いや、50を過ぎた私は学生とは思われないか!)
(月曜から土曜日まで衣装は写真のように変わります)
【仕事】
ここで私は、各病棟の看護師の技術指導のほか、組織作りと院内での看護研修の体制作りにも取り組んでいます。インドネシアの病院はまだまだ医師が中心の組織で、看護部の位置づけもあいまいです。そのため、看護部の活動が停滞しており、内部研修も計画的には運営されていませんでした。赴任9ヶ月、現在は担当者が計画にそって、毎月看護研修を行うようになりました。その他、医師を巻き込みながらICUの記録を改善したり、勉強会やスタッフオリエンテーションのアドバイスをしたり、職場環境を整えるアシストをしたり、少しずつ看護部の活動を活発にしていくための後押しをしています。
(心肺蘇生トレーニング 支援経費で購入した人形を使って)
【看護】
インドネシアの看護師さんは現在3年制の看護学校の卒業が多いのですが、看護学部がある大学が増えこれからは大卒者が増えていくようです。看護師の仕事は医師の介助が多く、日本では医師が行う縫合やガーゼ交換、カテーテルの留置などの処置も、インドネシアでは看護師が行います。ベットサイドで患者さんの気持ちに即した細やかな対応をするのは家族の方々です。
彼らはこのような自分達の仕事と、教科書上で習う看護師の仕事の矛盾を理解できているのか、といいますとほぼできています。ただ、改善にどう取り組むかのモデルがないために、なかなか動けないでいます。この病院は10年前までは本当に普通の小さな県病院で、看護師は注射をすることが主な仕事だったのです。それが今では日本と変わらないSOAPでの看護記録と看護計画も取り入れています。その側ら経費節約でガーゼを切ったりたたんだり、綿球を作ったり、色々な仕事があります。忙しさの中身が日本とは異なるのです。
【患者さん】
タバナン県には約40万人が住んでおり、近隣からも患者さんが来ますので病院はいつも満員です。病気は日本と変わらず盲腸やヘルニア、結石、喘息、糖尿病、脳出血、脳梗塞、交通事故、怪我、出産などなど。そんな中、デング熱、狂犬病、蛇咬ショック、など、日本では珍しい症例もあります。村では裸足で道を歩く人たちを多く見ます。ですから田植えの時期など足を蛇や蠍にかまれたり、怪我をする方が多いのです。先日、病院スタッフの家族が蛇にかまれました。気道が腫れ痙攣を起こすまでわずか45分だったと言います。幸い30分ほどの距離に住んでいたので車で移送し、すぐに対応できたので助かりましたが、、、やはり蛇でなくなる方がいると言うのは本当だったのだと確信する例でした。
【ボランティアを楽しむ】
バリでの生活は色々なレジャーがあり楽しそうですね、と皆さんに言われます。でもここから1時間もかかる、外人が闊歩する観光地にはなかなか足が向きません。毎日朝7時に病院の車に迎えに来てもらい、午後3時にはホテルに送ってもらうという日々です。唯一の休日、日曜は家でのんびりと過ごします。村に出かけたいのですが、、、公共の交通手段がありません。更に、ここには外国人女性が1人で住めるような住宅はないのです。周りに日本人はいませんので、毎日がインドネシア語、家に戻ると日本語でヤモリに声をかけたりする、、、といったら他のシニアに笑われましたが、こんな生活もまたひとつ。習い始めたバリ絵画は大変複雑で時間はあっという間に過ぎます。また通勤路では、車窓から村人の生活を伺い、頻繁に行われるヒンドゥ教の行事を目にする事ができ、この地域の文化にふれることもできます。楽しむことはまだたくさんありそうです。
(ガルガンという行事の竹飾り)
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◎バリ州タバナン県立病院に派遣された過去のJICAボランティアの記事◎
①平成13年度3次隊 看護師(青年海外協力隊員) 2001年9月1日UP
②平成18年度2次隊 看護師(青年海外協力隊員) 2007年5月14日UP