19年度4次隊 鍼灸マッサージ師(スラウェシ島マナド市) |
年も変わり今年で平成22年、早いものでこの3月でいよいよ2年間の任期が終わろうとしています。そこで今回はこの2年間の活動を振り返りつつ、簡単にですがその内容をみなさんにご紹介していきたいと思います。
配属先のトゥモウトウ視覚障害者施設は視覚障害者の社会参加・自立の支援を目的に、彼らに教育や訓練を施しています。授業・訓練の内容は、点字や杖を使用した歩行等を含めた日常生活動作などの基礎訓練、インドネシア語・英語や宗教などの教育、そしてコンピューター・音楽・マッサージなどの職業訓練となっています。
(写真① トゥモウトウ視覚障害者施設)
私は当施設における2代目の鍼灸隊員ですが、当初の主な要請内容は①生徒への直接指導、②使用されている教材の見直し、③同僚指圧インストラクター(以下カウンターパート、CP)を対象としたワークショップ(WS)の開催などでした。
2代目ということで、また、指圧という日本独自の技術の指導者ということで、施設側の受け入れ態勢もまずまず良く、2名いるCPと協力して指圧の技術指導にあたることができました。
生徒は自身の社会的自立を目標としているため比較的熱心で、教える側としても楽しんで授業に臨むことができました。
ただ、CPは理論の点で少し弱い部分があったので、私が理論も教えていましたが、やはり言葉の問題があり、一つのことを教えるのに長時間かかったりと、それなりに大変なこともありました。(写真上:授業風景)
理論を教えるにあたっては、先代隊員の作成した教科書や経穴(ツボ)人形を使用していました。
彼らのための教材としては十分だと思われたので、教科書の内容に関してほとんど手直しはしませんでしたが、まだ少し不足していると思われる部分の補足や訂正等を、また、ところどころ損傷してきた経穴人形の修理などを授業以外の時間に行っていました。
(写真右:授業風景)
年長のCPが数年後に定年を迎えることもあって、その後任インストラクターを育てるべく、数名の同僚職
員に対しても授業を行っていました。が、生徒と違ってすでに公務員として安定した収入があるためかイマイチやる気に欠け、一人減り二人減り…と、こちらは散々でした。まあ、みどころがある職員は見つかったので、イイかなとは思っています。
ほかには授業に還元しようと(散歩がてら)卒業生が働いている街中のマッサージ施設を訪れて話を聞いたり、(旅行がてら)他の視覚障害者施設を見学させてもらったりしていました。
また、マナドにある、学生たちを中心に運営されている日本文化サークルや同期日本語教師隊員が派遣されている学校などから声をかけていただき、彼らが開催した日本文化紹介イベントで指圧の効能の説明や実技など、プレゼンテーションをさせてもらいました。
配属先は、少しへんぴな場所にあるためか、活動概要はおろかその存在自体も地域住民にあまり知られていなかったので、施設をアピールするよい機会と思い、チラシを作成し、そういったイベントで来場者に配布しました。
イベント会場での人々の反応はまずまずで、一つのイベントをきっかけに、新たなイベントに招待されたりしたこともありましたが、施設内にある治療院を訪ねてくる患者数でみると、現実として期待したほどの成果はみられなかったかなと思います。実際、認知度は増えてるのかも知れませんけど…。
(写真左・下:イベントの様子)
そこで、一年が経ち私のインドネシア語もある程度上達し、そして周囲の人々との関係もある程度築けていたこと、また、自分が帰国した後のことや生徒の施術経験の増加のことなどを考慮し、基本的に初診時以外は生徒に施術を任せるようにしました。自分自身、本来の、施設の一員としての活動のための時間がけっこう削られているなぁ~と思ったりもしたので…。
ほぼ同時期にインドネシアには私を含めて3人の鍼灸隊員がいました。他の鍼灸隊員と協力してのWSの開催なども検討してみましたが、なかなか折り合いがつかず、結局開催はできませんでした。
自分のところも含めそれぞれの配属先のCPはみな、指圧インストラクターとしての経験も長いため、技術的には十分なレベルに達しているので、開催に向けて積極的に動いていたかと問われれば、正直そうでもなかったかもしれませんね。配属先側は開催の意思はあまりないようでしたし。
さて、活動はだいたいこんな感じでした。赴任してからだいぶ経ち施設内の様子がわかってきて感じたのは、職員たちはあまり働かないが、本当は皆それなりに自分たちでやっていく能力は持っているということです。私自身も元来無精なので、グイグイ彼らを引っ張っていくのではなく、働いている姿を見せることで、彼ら職員の意識を変えていければ―という方法を選んでしまいましたが、ちょっと消極的だったかな…と、こうして振り返ってみると思ったりします。
実際、私の赴任前と後でなにかが大きく変わったということもなかったですしね。ただ、CPの仕事に対する姿勢や生徒たちの授業や生活態度を見ると、身近にいた彼らにはちょっとした影響を及ぼすことができたかなぁ、と思ったりもしています。
配属先のほうは昨年末からやり手の施設長が戻ってきて(約2年間、南スラウェシ州マカッサルの障害者施設で施設長を務め、成功して帰ってきたそうです)、彼女の指導のもと、これから変わっていこうとしています。毎週月曜の朝礼一つとっても、今までほとんどの職員、多くの生徒が参加していなかったのが、今はほぼ全員参加です。まあ、前に彼女がいた時もみんなちゃんとしていたということで、今後また施設長が代わったらどうなるのかはわかりませんが…。
とりあえず私としては、もうあと半年くらい長く彼女と一緒に仕事をしてみたかったなぁというのが素直な気持ちです。そんな気持ちと、これから少しずつでも施設の在り方が良くなっていくといいなぁという願いを抱きつつ、3月、任期を終えマナドを、そしてインドネシアを後にする予定です。変わったのか、変わっていないのか、1~2年くらい経ったら、旅行がてら配属先を訪ねてみたいですねぇ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※この隊員の過去の記事※
●2008年9月26日掲載分(活動内容)
●2009年6月25日掲載分(活動内容)