生物学とグローバルイシュー(第2回;進化生態学とジェンダー論) |
“ジェンダー”この言葉はNTCの訓練を経てここに来た皆さんならご存知でしょう。生物学的性差のSEXに対する社会的性差を意味する用語です。私の訓練中にも、選択講座でジェンダー論があり参加しました。しかしこのときの講義で講師の人のしゃべるジェンダー論に私はいささか疑問をもちました。実際、講義の終了後、講師に質問(討論?)にいきましたが明確な回答を得ることができませんでした。
何が疑問かというと、講師の人は性差というのは、生まれつきあるものではなく、成長の過程で男は男らしく、女は女らしく育てられ造られていくということを強調していたことです。これは、ジェンダーに限ればある程度正しいといえます。しかし、このときの講師は、女性が出産できるということ、また男性が女性より体が大きいということも、男性、女性をわけるファクターとして認める必要はないといっており、生物学的性差が後天的な要素に対して取るに足りないという要旨のことをいっていました。本当でしょうか?このときの講師が言うには、女性でも子供や老人は出産できないし、男より大きい女性はいくらでもいる、というのが二つの性を分ける特徴ではない理由だそうです。この論理で言うと、“芋虫は飛べないから、蝶は飛べる生物とはいえない”といっているのも同じです。実際、女性のジェンダー論者、古くはフェミニスト(このときの講師も女性)は男女平等を目指すあまり、社会的性差を踏み越えて生物学的性差をも同じと見ようする傾向があるようです。そもそも、男と女、さらに生物全体に多く見られる雄と雌とはいったい何なのでしょうか?
結論から言うと男と女、雄と雌の違いはそれぞれが繁殖に使う配偶子の形状の違いに由来します。雄は小さな運動能力のある精子を造り、雌は大型で栄養豊富な卵子を造るのです。ここでは、生物の多くになぜそのような“配偶子の違い=性差”が生まれたのかの進化論的背景は割愛しますが、この一見小さな(と思える)違いが生物の行動、形態進化に大きな影響を及ぼして来たのです。
精子は栄養物質をほとんど持たないので短期間で大量に生産できますが、受精後の栄養を受け持つ卵子の方はその栄養貯蔵に時間を必要とするため精子のように大量生産が難しいのです。人間を例にとっても女性は月に一回の周期で新しい卵子を生み出しますが、ご存知のように男性は毎日数多くの精子を放出(?)することが可能です(特に思春期の男性、、、および一部の隊員)。さらに、多くの栄養をもつ卵子を生産する雌は雄に比べて繁殖により多くのエネルギーを使う必要があるのです。この傾向は、体内で受精を行い、出産後も授乳を行う哺乳類でより顕著になります。
一方、雄は配偶子形成という点で雌よりエネルギーがあまっているので、様々な形態を進化させてきました。例えば、クジャクに見られるような雄が雌をひきつけるための装飾を進化させたり、ゾウアザラシに見られるような、雌の何倍もある巨体を進化させたりしてきました。これらのように同種の雌雄で形態が違うものを性的二型といいます。もちろん、人間もこれに当てはまり、乳房や生殖器の形状、そして男性が女性よりも大きい(上記の講師は間違った理解をしていましたが、統計学的には有意に(=偶然でなく)男性の方が女性より大きいのです)のも、配偶子に端を発する性的二型の一例です。また、外見的に同一の種でも、多くはその行動にも変化が生じてきました。皆さんご存知のように蚊は雌しか人を刺しません。雌の配偶子=卵が多くの栄養を必要とするため、雌のみが動物の血を吸うのです。このように、同じ生物間でも先天的に与えられた性によって、外見的にも行動的にも雌雄間で差が出てくるです。
ここで、人間に話を戻すと、私達は繁殖(というと変ですが)の際、女性が10ヶ月近く体内で子を育てるという生物学的特長を持っています。そのため、現在より多産であったであろう(生存率はともかく)原始の人間社会では女性が子育て、男性が食料を狩るというように行動が分化してきたことが想像されます。このような文化、価値観は様々に形を変え、現在まで脈々と続いており、女性の労働を禁じている文化もいまだ多数見られます。しかし、先進国を始めとする多くの国々で女性の地位向上がさけばれており、子供を産まないというのも選択肢のひとつとなってきました。しかし、いくら文化や思想が変化していったとしても、私達の遺伝子によって定められた体は容易には進化しませんし、女性が妊娠によって負う物理的、時間的負担は変わらないのです。つまり、男女の社会的平等を達成するには、男女の生物学的違いを認めた上でそれによる生じる可能性のある不平等を取り除く必要があるといえるでしょう。
男女の性の違いというのは、どちらがえらいというものでもないし、どちらが優れているというものでもありません。女性特有の生物学的特長を無視し男性と同質としてみようとするのは、男性の生物学的特長により価値を置いた男女差別を逆に行っているのと同じことです。生物として子孫を残すためにはどちらの性も必要でかつその価値は等価なのです。ですから、真のジェンダー平等を達成するためには男女の生物的違いを把握した上で、それによって社会的不平等が起こらないようなシステムを作るのが重要なのではないでしょうか。皆さんはどう思いますか?
追記:題名にある進化生態学とは、ダーウィンの進化論と最新の遺伝子理論を組み合わせたホットな学問でネオダーウィニズムとも言います。本文にもあるような生物の形態や行動がなぜ進化してきたかを問う興味深いものです。また、性転換する生物(主に魚類、ベラやクマノミ等)や子殺しをする生物(ライオンやハヌマンラグーンなど)のような特異な行動をしめすものなどの理論的説明をすることもできます。これらの話はまたの機会に。