インドネシアでの暮らし |
私が住む南スラウェシ州では外国人が珍しく、特に日本人は特別な注目を浴び、現地人の多くは日本や日本人に対し特別な憧れを抱いているように思えます。
任地ではどこへ行っても、初めて会った人に
「日本人?」
「給料はいくら?」
「恋人はいるの?」
「結婚している?」
と聞かれ、
「あんたには関係ない」
と返事したくなるような質問がどんどんとやってきます。
南スラウェシ州のどこへ行ってもとりあえず人は多く、みんな同じ質問をしてきます。
任地であるマロス県チャンバ郡に住み始めた時も、多すぎる人との接触や注目されすぎることに疲れていたときがありました。しかし、人にも慣れ、“すぎない”“ほど良い程度”の付き合い方が分かってくると、人との付き合いも楽しくなっていきました。任地の人は親切な方が多く、日本では今失われつつある“人間らしさ”にあふれているように思います。私もそのような点で村の人を見て自分を考え直すことが良くあります。
任地の文化は、私がブラジル※や日本で経験してきたものとはだいぶ違い、文化が違うということは、物の見方や価値観も違い、その中にぽつんとおかれ活動していくためには、自分を見直し、相手の価値観を理解したり受け入れたりする必要があります。その中では、疲れたり色んな壁にぶつかったりするが、文化の違う人どうしが価値観を分かち合い協力し合えば、色んな良い可能性が生まれることも有ると思います。
日本人であれ、インドネシア人であれ、一人一人の人生には沢山の可能性が有り、その可能性が育つか、どのように育つかはその人を囲む状況や自身の状況によると思います。
私の過ぎた一年と残りの一年は、自分自身の可能性と任地で一緒に活動する人の可能性が少しでも育つために、どれだけの手助けが出来るかの勝負だと思っています。
*******************************************************
※筆者プロフィール
1982年に福井県で生まれる。
母はブラジルの日系2世(移民した日本人の子供)で、父は大阪出身。2歳のとき、家族とブラジルのサンパウロ州に移住し、2006年までブラジルで暮らす。
家族内での言葉はほとんど日本語で、文化や考え方もどちらかというと日本式だった。2006年、22年ぶりに農業研修生として来日後、協力隊試験に合格。日本で技術補完研修と語学訓練を経て、2008年6月インドネシアに赴任。職種、野菜。任地は南スラウェシ州マロス県。
◎この隊員の他の記事◎
2008年12月28日 野菜隊員活動紹介(南スラウェシ州マロス県)