2012年 02月 01日
ようこそ 理数科分科会へ
理数科教師として中学校で活動している隊員がメンバーとなり、インドネシアの理科教科書を研究をしたり、実験をどのように実施するか、各校の情報交換、といった活動をしています。
今回は2011年11月の中学校訪問と、12月の理数科分科会の様子を紹介します。
◆ 中学校訪問 @ バンドン
広いインドネシア。公立中学校といっても都会と田舎の教育レベル、学校設備などは大きく異なります。
訪問地のバンドンはジャカルタから車で3時間ほどの学園都市であり、授業公開や教師勉強会など教育活動が活発な地域になります。
1日目に訪問した中学校では2年生の「原子の構造」の単元について、他校の理科教員も参加し授業研究が行われました。
担当の先生はパワーポイントなどの教材を用意し準備万端。

生徒も熱心に授業を聞き、レポートをまとめていました。

授業後、アドバイザーの教育大の教授が理論や授業方法をアドバイスし授業研究は終了。
その後も、私たち隊員と現地教員の教育について討論は続きます。
「今日の私の授業について、率直な意見がほしい。」
「実験キットがあるけど、使い方がわからないの。今度教えに来てほしいわ。」
「日本の中学校はどんな感じなの?」などなど。
先生たちもわかりやすい授業を心掛け、工夫しているようでした。

2日目に訪問したのはK隊員が所属する中学校。
私たちはK隊員のインドネシア語での授業を見学。
K隊員手作りの教材を使いながら、流ちょうなインドネシア語で「原子の構造」について教えていきます。
生徒も楽しみながら学んでいる様子でした。

◆ 理数科分科会
12月に各地で活動している理数科隊員が集まり、理数科分科会を開きました。
内容は、情報交換や各中学校に配布されている共通実験キットの活用法の検討。
どうしたら生徒が実験しやすいか、理解しやすいかなど実験キットを使って予備実験をしました。
また、インドネシア語での実験プリントも分担して作成。
2年生の力の分野で滑車を使った実験や圧力の実験のプリントを作成。
自分の語学勉強にもなります。

後日、それぞれの任地で実験を実施する予定です。
理数科教師として中学校で活動している隊員がメンバーとなり、インドネシアの理科教科書を研究をしたり、実験をどのように実施するか、各校の情報交換、といった活動をしています。
今回は2011年11月の中学校訪問と、12月の理数科分科会の様子を紹介します。
◆ 中学校訪問 @ バンドン
広いインドネシア。公立中学校といっても都会と田舎の教育レベル、学校設備などは大きく異なります。
訪問地のバンドンはジャカルタから車で3時間ほどの学園都市であり、授業公開や教師勉強会など教育活動が活発な地域になります。
1日目に訪問した中学校では2年生の「原子の構造」の単元について、他校の理科教員も参加し授業研究が行われました。
担当の先生はパワーポイントなどの教材を用意し準備万端。

生徒も熱心に授業を聞き、レポートをまとめていました。

授業後、アドバイザーの教育大の教授が理論や授業方法をアドバイスし授業研究は終了。
その後も、私たち隊員と現地教員の教育について討論は続きます。
「今日の私の授業について、率直な意見がほしい。」
「実験キットがあるけど、使い方がわからないの。今度教えに来てほしいわ。」
「日本の中学校はどんな感じなの?」などなど。
先生たちもわかりやすい授業を心掛け、工夫しているようでした。

2日目に訪問したのはK隊員が所属する中学校。
私たちはK隊員のインドネシア語での授業を見学。
K隊員手作りの教材を使いながら、流ちょうなインドネシア語で「原子の構造」について教えていきます。
生徒も楽しみながら学んでいる様子でした。

◆ 理数科分科会
12月に各地で活動している理数科隊員が集まり、理数科分科会を開きました。
内容は、情報交換や各中学校に配布されている共通実験キットの活用法の検討。
どうしたら生徒が実験しやすいか、理解しやすいかなど実験キットを使って予備実験をしました。
また、インドネシア語での実験プリントも分担して作成。
2年生の力の分野で滑車を使った実験や圧力の実験のプリントを作成。
自分の語学勉強にもなります。

後日、それぞれの任地で実験を実施する予定です。







日本での訓練とインドネシア、ジョグジャカルタでの現地語学訓練を終え、とうとう任地ロンボク島に到着したのは、2010年2月10日でした。夢を持って、意気込んできたものの、実際にロンボクに到着してからは、自分になにができるのだろう、自分はここで必要とされているのだろうか、言葉もろくにしゃべれなくて、と不安が襲いました。先輩隊員の残したレポートでさえ、私の脅威になっていました。初めはチヤホヤしてくれるインドネシア人に囲まれて、何が何だかもわからず、言われるがままに過ごしていました。とりあえず、こっちの人に寄り添うんだ、彼らを知るんだ、私も貧しい中の最も貧しい人の一人になるんだ(これはマザー・テレサの言葉です)などと、思っていたものです。ま、実際ここはそんなに意気込むほど貧しくなかったのですけれど。2ヶ月間、保健事務所でオリエンテーションを終え、とりあえず、状況把握のために入った保健所では、わからないなりにも、保健所の業務に参加させてもらいました。他にも結核の患者さんにアンケートを取ったり、結核プログラム室の業務の改善の案を出したりなども少しはやってみましたが、結局これといった成果もなく、毎日、「まだ時間はある。あせるな、あせるな。」と自分に言い聞かせていた日々でした。それでも、ここのカンティン(職場内にある屋台型の食堂)で、ロンボク名物プルチン・カンクン(空芯菜の上にトマトのサンバルをかけたもの)にはまって、毎日食べだしたのはすでにこのころから。おかげで今ではすっかり辛いものが得意になりました。






